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青蛙 おまえもペンキ 塗り立てか /芥川龍之介
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四十九日法要
母の、四十九日法要のために実家に行って来た
信心深さとは縁のない父にとっては、自分が思うように演出するほうが しっくり来るようで、1時間ほどの読経を坊さんにしてもらった以外は 彼があれこれプロデュースした内容になっていた ぼくの母は若い頃はいろいろ活動的だったけれど、ぼくたち子供が家から出て行ってからは もぬけの殻になってしまったように、猫と会話するだけのような人生になってしまっていて 7年ほど前、胃がんになって以来は食事もあまり摂らなくなり、きっとどんどん弱っていったんだろう。 とりわけ母の兄弟連中にとってはこのところのやせ細って精神的にも弱った彼女の印象が強かったと思うのだけど、父は、ぼくが中学か高校の頃の、ゴルフをふたりでやっていた時に撮ったビデオを編集してもらい、 元気に楽しそうにコースを歩いている姿や、あの頃、お弁当をこしらえてはあちこちドライブをしていたのを思い出すような、いつも使っていたランチボックスで二人して仲良く食事をしているシーンなんかを盛り込んだ物を 坊さんが帰った後の待ち時間に流して始まった その後は、父が選んだ2曲をピアノの自動演奏で繰り返し再生しておき、 この日のために、彼女の名前を酒瓶にラベルしてもらった酒をみなに振る舞い 会食をして楽しんだ 父はひっそりと身内だけで行いたい意志が固かったので、四十九日は特に、母の兄弟とあと数人というほんの小さな、ぼくの家のリビングでできてしまう人数で行った うちの両親はぼくが若い頃はそれは派手な交友関係があったものだったけれど シンプルな価値観を持つようになって、どんどん何もかも捨てていった この法要の場でも、母が焼き物が好きだったので多くあった酒のおちょこやらとっくりを 来てもらった人たちに持って帰ってもらった 父は酒をわざわざ個人で飲む人間ではないので、もう必要ないのだ ぼくも育った影響のせいだろうと思うのだけど、家にある焼き物はわりと好きなので いくつかツバをつけておいた どうせ家にいつまでも転がっているだろうから、ぼくがいつか、そういうものを置ける 落ち着いた暮らしになれば、いただいていこうと思ってる この日、法要と会食が終わった後で、父と姉が探してきた彼女のお墓の下見に行って来た この寺は母が子供の頃、習字かなにかで通っていたらしいところで、緑が気持ちよい、こじんまりとしたところで、なかなか良かった。 もちろん、仰々しい墓を持つことは父の好みに反するので、大きなお墓に共同で入るスタイルを選ぶつもりらしい。もう、自分の戒名ももらって、二人分の場所をそこにもらうつもりでいるようだ。 ぼくの住む町は、城下町であるせいか、寺が多い。仰々しいのが多いんだ。 でもこういう静かなところを知り合いが紹介してくれて、よかったと思う。 翌日は、彼女が愛していた砂漠へ、散骨に出かけた 思っていた以上に時間の掛かるドライブだったので、運転をひとりで担っていた父は大変だったようだけれど 彼の彼女を供養するプランの中できっと一番、大事に、絶対に遂行したい事だったろうから、 家族だけで行くことができて満足したと思う 砂漠は結構大きいんだ ぼくも家族で何度か訪れたことがあるとはいえ、久しぶりに来るとやはりその大きさに驚いた 日本にこういう規模の大きな自然公園があることは結構意外な気がする 人気のいない、 メインの場所から外れたところに ぼくたちは出かけて、 彼女の最後のかけらをばらまいた 父があらかじめ、ひとりで、一生懸命、小さな小さな粉へと砕いておいたものをまいた 良い天気で 日差しがきつすぎることもなく、さわやかな風がずっと吹いていて、 ぼくも、義務のつもりで来たけれど、とても気持ちよかった 後は 家へ帰る道すがら、車の窓から撮った写真を数枚載せて ぼくの、彼女への謝罪である巡礼の旅としてまとめようと思う ぼく自身、骨を削ってるみたいな、キツイ日々であったけど 行って来てよかったと思うよ 今ではたぶんすっきりしたキモチで 彼女に感謝できると思う おやすみ ナオ PR コメントを投稿する
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30すぎで、どこかで小説書いています。
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