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青蛙 おまえもペンキ 塗り立てか /芥川龍之介
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道化

潮騒 ってなかなかウマイ単語だ


なんとなく海の、波の、
ザザー ザザー と寄せては返す
あの単調な繰り返しの、
無口であるかのような、
自分が波打ち際に佇んでいると
自分の見えない部分は
同化していて、いるかのような
その、波や、波打ち際の
砂や、石や、防波堤、や、船や、山や、
空や雲や、飛んでる鳥や
そういう景色と自分がなじんでるような
得た感覚が全てその、“潮騒”て言葉で表されるような気がする


きっと日本のどこの海でも
世界のどこでも、初めてのところでも
懐かしさを感じるんじゃないんだろうか
とりわけ、わびしい感じの海に

 

またまた再び書くけれど、太宰との共通点について。


はたから見ると、恵まれたカードをいくぶん人より多くもっていながら
それを明るく処理できないところ。

つまり

感受性が強くて、けれど、一歩離れたトコロから常に物事を分析して
結果として幸せジョーズでない
どんなに恵まれた家でも
逆にそうであるがゆえの
一般家庭がそうであると思ってる濃い人間関係・・・
喧嘩したり、みたいな個と個のぶつかりあい、みたいな
愛のカタマリに欠けた家であるせいで
また、一般の家庭の子が誰でも持つ、自分の家庭の物質的
または金銭的不満
親のタイヘンさを知っているがゆえの無言の諦念、我慢
・・・・そういう経験のなさによる
人間としての本質的耐性の欠如
いわゆるダメ人間・・・・・・

 


ぼくには年の近い姉がいるが
彼女はダメ人間じゃない
平凡な仕事ではあっても
まっとうな社会性を持って、立派な社会の一員として
きとんと結婚し、家を持ってる


彼女はぼくのような性質を持っていない
ノビタ君を女にしたような印象のうすい外見のせいかもしれないし
同時に、健康的な交友関係により
親から早々に上手に離れていけたせいかもしれない

 


ぼくは多感で
人との交友を好まず
ずいぶん小さな頃から独立を願い
家を出てから少しも親を頼る事などしたことは無いが
縛られ続けてる
根底がそうだからどうしようもない
太宰と同じ、そういうトコ。


ぼくのイナカは小さな城下町で
だから狭くて、田舎なのに自然というか、田畑なんかはない
山に囲まれた盆地の、真ん中に川が流れ
家と学校やお役所があるだけの町だ
市としては、山のむこうも含まれて、そこには畑とかあるんだけど
テリトリー外


そういうイナカにありがちの閉鎖的空間
誰も、ぼくの父親を知らない人はいないし
ぼく自身、○○先生のぼっちゃん、という名前で知らない人が
ほとんどいないなかで育ってきた


たいした父親じゃない
たいした家でもない
名のある家でもない
別に珍しくも無い
でもこの井の中の蛙の世界では、そうならないんだ


ぼくはだから学校の先生達からも
裁かれる事が無いうれしくない特別扱いという名の差別をされていた


教師がそんなだし
ぼくがこんなだから
同級生とかの中でもぼくは浮いていたんだおる


ぼくはこういう手持ちのカードという、
本当はトランプみたいに一枚一枚は薄い
・・・・でもまわりはそう思ってない
座布団に座っていたから


ぼくは人と付き合う為には
太宰の言葉を使えば、“道化”が必要だった
ぼくはみなが思うような、“お高いヤツじゃないんだよ”と示す道化が。


綺麗でない方言を多様した言葉遣いをしたり
やりすぎなほど崩した表情だったり
バカでドジで間抜けな武勇伝をおもしろおかしく語る事だったり
質素で棘がいっさいたたない地味な服装
けれど決して、“優等生”とはいえない格好
でも流行を全く知らないってわけじゃないよ?みたいな
微妙なライン
そんな気を配りまくって生きてきた
同時に家が望む道から踏み外さないことも忘れずに


つまり成績、進路。
入る学校のランク。
選ぶ道のまっとうさ。
親が自慢できる息子、じゃない
親の面子を保つ息子、だ。


まぁでも幸いぼくの親が望んだレベルは、“県内”でよかったから
さほど努力する必要はなかった
ただ与えられた宿題をやってれば
フツーにクリアできる程度
それだけフツーの家だったはずなんだ
けど、人はハリボテを見て
ぼくは親にハリボテを見ていたんだ


高校を卒業してすぐ、親元を出て一人暮らしした
誰もぼくのバックグラウンドを見たりしない
ただの、ぼく。
うれしかった。楽しかった。
羽を広げられるって思う感覚だった
何でもした


でもぼくはやっぱりクラスの中で浮いていた
昔から、友達づきあいというものをしてみよう、とする事はある
でも
どうやらぼくの肌には合わないみたい
わかったのはハタチもすぎての事だったけど
それまではいろいろ努力したりいろいろ・・・・あったけど

 

大学は、僕の背景を誰も見ないから
ぼくの何のカードが、ぼくを浮かせることになったのか
・・・・まぁ、結局のところ
ぼくが人を望まないという姿勢のせいだったんだろうな

 

大学のくせに、クラスも上下も先生までも
仲良しコヨシお手手つないで乗り越えていこう!みたいな風潮と
真逆のぼくだったから
相容れなかったんだ


ぼくは授業なんか楽しくなかったから
必要な日数だけ出て
試験にパスさえすればいい、と考える人間だったし


人と食事とか、
人の行動から外れないよう、合わせるよう、
全てに気を回すのなんか疲れるし
・・・ぼくは、人がいると常に人の行動や感情、時間軸を読んで
併せずにおれない(よう育てられた)人間だから
雨のとき車に乗せてあげるという親切さえ、ダメだった


ぼくはつまり、楽に息をするためには
一人がいいということを

何を押しても一緒にいたいと思える人が
あるいはただ一緒に居ても平気という人が
ほとんどいないんだ
ゼロじゃなかったのが “救い”なんだと思ってるけど

 

ぼくはこんなだから
人の現状を無視して乱入してくる電話なんか大嫌いだ
そもそも用件は、文書として残ってしかるべきなはずだ


ぼくの都合に合わせて読めて、保存できるメールというシステムが
だから、よい。

 

だからネット上の交友関係

までも
が肌に合うんだろう


ぼくの持つ、カード
自分にとって好き嫌いも含め
一切ムダで、距離も時間も超えて
キモチや魂みたいなのだけで触れ合う
都合のいい時に
そこにはコンプレックスというカードを提示する義務もなく

 

・・・ぼくにお茶を淹れてくれる人が言うには
ネット恋愛に嵌り易い人は、大きいコンプレックスを抱えていて
見せなくていいから、あるいは
それを受け止めてくれたから
嵌るんだと解説してた


ぼくに言ったわけじゃあ、ないけど


・・・その通り!正解!・・・ぼくの場合


ぼくの抱えるソレは大きすぎて、リアルでは
だから人と対峙できない
だからぼくにリアルの提示を求める人は
つまりぼくのコンプレックスを見せなきゃならなくなったら
ぼくは逃げるだろう


どうしてだろう
リアルじゃないせいか
空間を飛び越えてある意味趣向の合う人間が集っているせいか
ぼくが毎日楽しく過ごしてる場所には
素敵な人がたくさんいる

いい人だなぁ、とか、いい男だなぁ、とか
抱く中身の種類は1つじゃないけど


『あー好きだなーこの人、なんか』

そういう人とか
いっぱいいる
だからぼくはこの世界にはまってる
かなりリアルより重点をおいてる


まぁ、趣味のために金を稼ぎ
アフターファイブや、ウイークエンドに生き生きする
のと同義だと思う
アブナイ話じゃないと思う


そんな生活
そんなぼく /ナオ

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