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青蛙 おまえもペンキ 塗り立てか /芥川龍之介
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読後


ほんとは蟾蜍なの。ごめん、嘘ついて。
チガウといいたかったのは
大きいカナシミを避けたいばっかりに
同じ毎日を繰り返してるわけじゃないってこと。
でも
やっぱりぼくは蟾蜍
 

太宰はね、ちょっと前の若者より今の若者のが共感できると思う
いや、
ぼくが若いといいたいわけじゃない
 

太宰って人間を要約すれば
恵まれた家庭で人権を与えられて育ったせいで
凧を地上に繋ぎとめる糸である常識ができなかった
でも感受性に富んで常に先回りし
演じて
多少以上に恵まれた容姿に集まってくる人間を
拒むことができず
自分に流れてくるものを弱いくせに
確固たる世間的自分が全くないくせに
全て受けてきたヤツだ

 

常識ってのはね、
たとえば、洗濯物をしなきゃいけないとか
食事を、今日食うために摂らなきゃいけないとか
掃除をしなきゃいけないとか
そんなことでもいいんだ

 

昔の人より今の人のが共感できると言ったのは、
親に大切に育てられてしまってるという意味だ
勉強より親の手伝いが大切だなんて、
今はなかなかいないんじゃない?
そういう意味だよ。




ぼくはこんなに自分と同じ人間を見たことがなくて
驚いた
ぼくはじゃあ人間失格ってこと?
そうだよ
過去にぼくは人間失格者になった
 

太宰が手記を書いたのは27歳のところまで。
ぼくが人間失格者になったのも、その頃。
見上げて、
みんながふつーに生きているあのレベルには
どうがんばっても
もう、行けないな、と思ったあの頃。
自殺しかないのだけど
ぼくの場合、
ぼくは太宰と違うのは、
“世間”の定義だ。
ぼくは太宰のように狭い定義をしなかったから
できなかった
あのプライドの高い家族に、
シミを作る事など許されない
あの頃は、母はきっと狂うだろうと思った。
今はそれはないかな、とも思うけど。
まぁ
それでぼくは途方に暮れた

 

死ぬしかもうないんだけどな~
でも、死ぬのは、とりあえず、ナシなんだよな~
でも、もう、無理なんだよな~



ってね。
無理なんだから、どうしようもない。
ぼくはあがく力もなかったし
誰に言える、そんな低いプライドを持ってもなかった
誰にも知られてはいけない
というより、ぼくの家族をとりまく世間に。
だから、死ねない。
死んだら、なぜぼくが死んだか、みんな知る。
それは残された者が恥ずかしくってしょうがないことだ。
悲しいとかそんなんより。



今はちょっと、もしかしたら、
恥ずかしくても、受け入れて、ただ、ぼくを失った事を
世間の誰にも体裁を繕うことなく、悲しく思うのかも、とも思う。
 


ぼくは今、へたな小説を書いている
太宰がへたな漫画や、春画のコピーをしていたよりももっと
程度の低い小説を
だけど、こうやって自分のことを書いているからこそ
もっと太宰のことがわかる
自殺することが前提にあって、それにまっすぐ向かって
書かれている手記であるということが。

 

絶望や悲嘆に暮れた自己陶酔じゃあない
ぼくらはそういう人種じゃない
絶望や悲嘆を淡々と、分析し、書く
どんな状況に陥っても、
ぼくらは少し、ズレているの
人と着地している位置が、違うんだ
ドラえもんみたいにね、浮かんでるのかもしれない。
例えば、食うことも、死ぬことも、
重要なことではない
どうでもいいの
明日死んだって別にどうだっていいの
だけど、
とてもとても一生懸命に道化の殻を被って
世間と応戦してるんだ
命がけで、変な顔を作っているんだ

 

 

 

太宰をよく知るバーのママは、太宰のことをこう語ったんだって:
 

「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
「私たちの知ってる葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、
 あれでお酒さえ飲まなければ、
 いいえ、飲んでも、
 ・・・・・・・神様みたいないい子でした」



そうだろうと思う。
ぼくはほんとうにそうだろうと思う。
この人はよくわかってたんだな、て思う。
うれしく思う。
ぼくもそうだと言いたいわけじゃない。
ぼくは、そういういい子だなんておこがましい。チガウ。
でもぼくは葉ちゃんと呼ばれる太宰のことが
本当によくわかるんだ
“神様みたいないい子”とは
品行方正だとか、罪を犯さないとか、まじめとか
そういうんじゃないんだ
酒を浴びるように飲んで
薬中になって
自殺未遂を繰り返し
自堕落な生活をしている葉ちゃんを
そう形容するのは、ほんとうにぴったりだとぼくは思う

 


ああでも、ぼくは失格者になってからどうやって
普通の人たちの場所に戻ってきたかを一応書いておかなきゃいけない。
 

まぁ、
一つしか残されてなかったの。
ほんとうに、この一つしか、ぼくに残ってなかった。
 

「神様!お願い!助けて!」
 

そう心の中で叫ぶことだけ。
それしか、残ってなかった。
 

もう何も方法はないなーって
ぼーっと踏み切りを、自転車から降りて、電車が通るのを待っていたとき
思いながら
ぼくは、一つだけ残されたソレを言ったの
 


だけどね、その後の事はどう解釈してもいいけど
ぼくはとんとん拍子にその場所に戻れたし
ぼくはそのまぶしいラインが見えるくらいにでも近づけたらと願っただけだけど
・・・・それほど、あまりにも遠かったから・・・・・
だけど、
ぼくが願ったラインよりはるか上までぼくは乗せられた。

 

ぼくは再び笑うことができ
昔捨ててきた、ぼくの美徳を活かそうとすることもできた
ぼくを指差して近寄らなかった人たちも戻ってきたし
小さい子供たちを愛することも
弱い人たちを愛することもできた

 

ぼくは感謝とかそういう言葉はなにが適しているかわからなかったけど
そういう訳で
ぼくは洗礼を受けた
その頃のぼくは
その世界で言うところの
神の愛のシャワーを浴びまくってるようだった

 


それほどあり得ないことだったんだ
太宰と同じように生きても
救済は、ある
 


もしかしたら、ぼくは死ぬほどの苦しみの中でも
机の上のペンを取るために手をあげる力もないほどの衰弱の中でも
からまわりの実りのない努力をし続けたことが
太宰との違いだったのかもしれないけれど
救ってやろうという気にさせたのかもしれないけれど
それでも、ぼくが彼と同じ、蟾蜍だったのには違いない
彼は、彼の絶対である父親に最後を賭け、
ぼくは、信じていなかった神に、最後を賭けた
その違いかも。



人生
よくわからない

 


太宰と出会えてよかったと思う /ケロ

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