ぼくの小説を読んでくれる人が、ありがたいことに、いて
自分から言うのは嫌なんだけど、ファンです、とかって言ってくださる方もいる
だけどぼくは
どうしてだか実感できない
いや、そのときそのときはすごくうれしく思ってる
わーいるんだ、って。
でも、次にアップしたとき、その人がまだいるという意識(自信?)は持てない
ハンドルネームを持ってくれて、コメントを落としてくれた人の
ずっとコメントがなかったら
もう来てはいないんだろう、と思う
基本的に根暗ということです
幸せ上手じゃないってことです
思い上がるのが嫌というのもあるし
そう思うようにしているのも、ある
失うことを恐れて目をそむけていると判断されるでしょう
否定はできません
そもそも
いろんな色の話を書くので、そのどれもがよかったなんてあるはずがないです
ネット上で小説を載せるということは
ネット独特の現象がついてまわります
アップしてる最中から読み手さんがいたりする
話途中でもコメントを投入することができる
いわゆるロム専といって読むだけ読むけど何もコメントしない
とか
ポジティブな意味でもネガティブな意味でも
ぼくが書いているところにはいわゆるカウンターはないので
どのくらいの人が読みに来てくれているかということは全くわからない
1人かもしれないし10人くらいいるかもしれない
まったくわからないんだ
小説は一度に話全部を載せるわけではなくて
その日その日、適当に区切りのいいところとか、書いた分だけ載せる方式になる
それで
話途中でコメントを書かないというマナーを考える方もいらっしゃるらしい
ぼくは、一般に人がぼくのそばに常にいてくれるという感覚を持てない人間だけど
絶対そばにいると確信を持てる人も、いる
ネット上ではなく現実の世界では二人かな?いる
一人はぼくの母親くらいの年の女性
もう一人は4つくらい年上の男
その二人とはどちらも何年連絡を取らなくても、全く平気だ
ずーっとずーっと音信不通でも
会えばすぐその間は解消できると知ってる
無条件の関係だ
ネット上でもそう感じる人はいる
暁はそうだったけど
ぼくから彼にさよならを言ってしまっても
必ず彼はぼくを掴みに来ると思ってた
何回目かのぼくから告げたさようならで
こうやって彼と本当に終わってしまっても
恋というカタチで繋がりはなくなっても
そういう軌道にぼくたちはいないけれど
彼はぼくの前からいなくならないとまだ思ってる
そういうのでも、いい /ナオ
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